初代横浜駅(現在の桜木町駅)で創業。
1908年(明治41年)
4代目横浜駅長であった久保久行は、退職後、知人であった高橋善一(後の東京駅長)の働きによって、妻・久保コト(旧姓野並)の名で、横浜駅構内営業の許可を受けた。当時の横浜駅は現在の桜木町駅である。
主な取扱いは、牛乳やサイダーなどの飲み物、餅、寿司などであった。
2代目横浜駅とともに平沼材木町に移転。
「匿名組合崎陽軒」を設立。
1915年(大正4年)
鉄道網の整備によって、初代・横浜駅と平沼駅の間(高島1丁目)に横浜駅が移転し、2代目・横浜駅として開業。崎陽軒も合わせて移転した。
横浜駅での営業申請をしていた、東洋軒・東京電方通信社とともに「匿名組合崎陽軒」を設立し、駅弁の販売を開始。半年後には、野並茂吉が支配人に就任した。
「合名会社崎陽軒」を設立。
1923年(大正12年)
崎陽軒発展の第二弾として、匿名組合から合名会社に法人化。大正12年5月15日、代表社員には野並茂吉が就任した。
「合名会社崎陽軒」を設立したのも束の間。関東大震災に見舞われた。復興のため、駅頭では牛丼やカレーライスを販売して非常時の旅客供食に努めた。
横浜名物「シウマイ」を
独自開発・販売開始。
1928年(昭和3年)
横浜駅は、東京駅から近く、駅弁の販売には不向きであった。社長・野並茂吉は崎陽軒の将来を考え、久保久行の孫・久保健とともに、横浜名物をつくることに。
南京街(現在の中華街)を探索し、突き出しとして提供されていた「シューマイ」に着目。車内で食べるため、冷めてもおいしいことにこだわり、南京街の点心職人・呉遇孫をスカウト。約1年の試行錯誤の結果、豚肉と干帆立貝柱を混ぜ合わせた、冷めてもおいしい「シウマイ」が完成した。
揺れる車内でもこぼさぬよう、一口サイズとした。
横浜駅東口にてレストラン事業を開始。
1934年(昭和9年)
横浜駅構内で弁当やシウマイを販売するほか、新たにレストラン事業を開始。
横浜駅東口の売り場を改造して「中華食堂」を開業した。
「中華食堂」を改組して、
「株式会社崎陽軒食堂」を設立。
1941年(昭和16年)
1934年に開業した「中華食堂」が「株式会社崎陽軒食堂」として独立。取締役社長には野並茂吉が就任した。
その後の1943年、本格的な中華料理食堂の新築に踏み切った。
しかし、完成した頃には、食糧事情が悪化しており、戦時色雑炊を作る雑炊食堂にせざるを得なかった。
1945年、横浜大空襲により、西口の営業所とともに、完成して間もない食堂は灰になった。
- 1908年(明治41年)
- 1915年(大正4年)
- 1923年(大正12年)
- 1928年(昭和3年)
- 1934年(昭和9年)
- 1941年(昭和16年)
- 1908年(明治41年)
初代横浜駅(現在の桜木町駅)で創業 - 1915年(大正4年)
2代目横浜駅とともに平沼材木町に移転。
「匿名組合崎陽軒」を設立。 - 1923年(大正12年)
「合名会社崎陽軒」を設立。 - 1928年(昭和3年)
横浜名物「シウマイ」を
独自開発・販売開始。 - 1934年(昭和9年)
横浜駅東口にて
レストラン事業を開始。 - 1941年(昭和16年)
「中華食堂」を改組して、
「株式会社崎陽軒食堂」を設立。